「人って100%じゃないから」
今日はひょんなことから
わたしに「コーチング」というものがある、と
15年前くらいに教えてくれた本田勝裕さんと仲間たち、で
ごはんを食べました。
20代前半から50代まで。初対面から腐れ縁まで。といいつつも5人。
当日声がかかって(遅いよねー)集まった人々です。
そこで話していたことから今日の話題を。
「人って100%じゃないから」ということ(本田さんが言いました)。
意味としては、人は100%しか出せないのではなく
120も150も出せるよ、ということです。
(完璧か否かという話じゃなくて、期待はずれだったらごめんなさい)
そうだそうだ、と思いながら、つらつらと考えました。
今は、ひとつの道を直線的に突っ走ることができる人は稀で
いまの道を歩きながら、次の道を探っていくような人がほとんどです。
特に若い方、40歳とか50歳でもそうだと思います。わたしもそうです。
今日は「いまの道が100%だと思っちゃだめだよね」という話をしましたが
いまの道を100で走った上に、20,30,40,50で別の道を探す人と
いまの道を50にして、20,30,40,5070,80と別の道を探す人がいるなあ、と
考えていました。
わたし自身は、与えられた役割、いまの道を100かそれ以上で歩いて
あら?と見えてきた新しい道に進む、という繰り返しで生きてきたように思います。
でも、いまの道を30で、そして70以上で新しい道を探す人も、いますよね。
何が違うんだろう、ということはあまり興味がなくて、
どっちがいいか、なんてジャッジすることでもなくて、
どうするかを選んで、どうなればいいのかな、と考えました。
ひとつ、わたしが得た結論は
どのパーセンテージを選んだとしても、言い訳が出ないこと
これが大切なのではないかな、と思いました。
わたしのコーチングを受けたことがある人は
「自分ごととして考えてみてください」と何度も言われていると思います。
物事を、自分の人生を、他人事として捉えたら
言い訳しか出ません。周りの影響を受けて、物事が、人生が変わってしまいます。
それが嫌なら、自分ごととして考えましょう。
こんなことを、よくお話しします。
なんかね、それと似たような話だな、と思いました。
なお、本日の会話が標準語っぽくなっておりますが
ほぼ全てが関西弁だったことをお断りいたします。
また行こなー。
台風前の新宿。みどりが多いこのあたりが好きです。