身の丈、ねえ
新聞のtwitterなんかが「身の丈、身の丈」と言うておられます。
そういえば、わたしがコーチになった影の理由のキーワードは「身の丈」かも、と思ったので、書いてみようかと思います。
若干毒舌が混じりそうな予感もしますし、そもそもわたしはこの身の丈ニュースについて、よく知りません。ニュースの事象ではなく、あくまでも「身の丈」という言葉から書いた文章だ、と思ってください。
さて。わたしは「ああしなさい」「こうしなさい」「あなたはこうだから」など
あまり言われずに育ったおかげ(せい?)もあって
あんまり、思い込みがないというか、制限を設けないというか
なんかそういう性格の子どもでした。
ひねくれ者なので、何か言われても「ふんだ」と思っていたフシもあります。
わたしの世代の女児、女子のグループは修学旅行なんかで話をしていると
「どうせ◯◯だしできない」「◯◯は無理」「やったらあかんって言われたし」と言い合いながら泣き出す、みたいなことも多く
わたしはふんふんと聞きながら「なんで決めつけるんやろうなあ」「やってみたらいいのになあ」と思っているような子でした。
でもね、泣いていた子は目標があったから、あったのに、決めつけて泣いていたんです。
わたしは特に目標のない子で(今も比較的そうかもしれません)、その時その時にやりたいことを一生懸命するタイプ。
また、泣いていた子は「身の丈」を知っていたから、身の丈に合わないと感じて泣いていた。
わたしは身の丈に気づいていたのかなあ、どうだったかなあと、このたび思いました。
まあ幸い、どんな子も機嫌よく過ごせる環境にいることができたのでありがたい話ですね。
さておき。
身の丈=思いこみ だとすれば、いつも書いているように、思い込みを取ってしまったらいいんです。
たとえば
「ものすごくダイビングをしてみたいけれど、アルバイトの身で贅沢よね」という人がいたら
だれでも「なんでそう思うの?」「お金はあるんでしょ?」「だれに気を使っているの?」とか聞くと思います。
これ、コーチングのはじめのはじめなんですよ。
そこからいろんな思いこみを解消していって、この人がダイビングに行ったとしたら
身の丈を超えられた、と言えると思います。
少なくとも、中学生や高校生にくらべたら
大人は、身の丈を超えられるリソースをたくさん持ちます。
特に、お金とか、経験からくる知識とか、それにともなう視野の広さとか。
それに気づいたら、勝手に今まで捉われていた身の丈を超えていけるでしょう?
身の丈を超える、とか言っていますが、むずかしいものもあります。
たとえばお金とか、たとえば法律や制度とか。
今わたしがgoogleをまるっと買うことは身の丈を超えていますし
アメリカ大統領にはなれない(生まれた場所)し、宝塚音楽学校にも入れません(年齢)。
ではどうする?と考えるサポートをするのもコーチングの一環です。
子どもは、あまりにも武器が少ない。
またその少ない武器も、保護者に依存するものが多いと思います。
そんな子どもに、
大人がわざわざ身の丈を感じさせるのは酷じゃあねえか?と思いますし
自分がどうにかすれば、どうにかなるかもしれないという視点を持たせてあげたいと思うのです。
コーチングはけっこういいセンいってると思うのです。