記憶はあてにならない

今日は映画「マチネの終わりに」を観たことを書こうと思います。

小説と映画両方のネタバレの可能性がありますので

未見の方はご注意ください。

 

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まったく関係ない銀座のあそこ。

 

 

 

 

 

さて。

映画「マチネの終わりに」を観てきました。

小説を読んで、ものすごく満足感があったので

観たいような、観たくないような、だったのですが

家の者がギターに関係しているので、ギターを聞きにいく、と言うため

一緒に観に行きましたよ。

 

わたしは小説をだいぶ前にKindle Unlimitedで読んでいました。

映画を観た後に小説を読み返していないのですが(再購入するほどでも、、)

こんな話でしたっけ???

 

残っているイメージは

1.「充分に、美味しく頂戴いたしました」と言いそうな満足感。美味しいワインをたくさんいただいたような。

2.大きい色づいた葉っぱ。かりかりに乾いている

3.公園、池

4.えー?一緒にならないの?オトナだなあ

 

くらいなので、映画で観たあれこれが、まーったく初見のように感じました。

しかもなんとなく、4.は間違っている?

映画は少なくとも、明らかに4.とわかる感じではなかったですよね?

(むしろハッピーエンドを匂わすように見えたけど、どう?)

小説でははっきり さよなら していたような記憶なのですけれど、ぜんぜん違うかも。

 

と、

わたしの(一応、人の)記憶はあてにならない、と言われるように

脳みそは、入ってくる情報のうち、ほんの一部しか処理できていない上に

残る(自分で認識できる)のは、またまたその一部だからです。

さらに、それは自分の都合のいいように処理されている。

また、どの情報を処理するかは、人によって違うそうです。

 

中学校の同級生と話してみてください。

同じ修学旅行に行っていても、覚えていることは違うはず。

 

だから、人はそれぞれ違うんです。

きっとあの人もわかってるさ、と思うのは、ただの怠けかもしれません。

また、自分では気づかないけれど、

本人が気づいていないのに、ちゃんと動いている無意識ってあなどれないのです。

 

 

蛇足ながら・・・

ふたりの人生が変わったメッセージのやりとり。(携帯が新しくなってからの)

あれも、それぞれが都合のいいように解釈していたのがわかりますか?

都合のいいように、というか

何を信じているか(自分の決断)によって

信じている方を補足するように解釈してしまう。

特に、ゆり子さんはそうでしたよね?

コーチがする質問は、その方の都合のいい解釈をぶっこわす目的もあるのです。

ある意味、空気読まない質問です。

 

 

あとねー、福山さんの演奏姿が、なんか三味線みたいやなーと思っていたのですが

最後の(復活の)コンサートでの姿はギタリストとしてかっこよかったのです。

単なる慣れ?ちゃんとした演出?

これ、無意識で演じ分けていたとしたら役者さんってすごいなあ。

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