ボケとツッコミ
ボケって可能性を広げているなあ、と思ったんです
ということを書いておこうと思います。
漫才のボケとツッコミ
最近はいろんな形態が生まれてきて、たとえば
ぺこぱの「否定しないツッコミ(悪くないだろう、ね)」なんかは画期的だなあと
昨年のM-1で感動したものです。
というのは置いておいて
いわゆるツッコミは、否定する、定説に寄せようとする、決まりごとにはめようとする(そして、諦めを挟み込む。「もうええわ」ってその象徴)
それがお仕事で、ボケとのギャップの大きさ小ささや、そのタイミングが笑いになります。
それは観客の「当たり前」「当然」を代弁するものですよね。
逆に、ボケの方は
意味のある(多分これが大事)とんでもないことを
どんどん展開していくお仕事です。
人はひとりで漫才している、と仮定すると
ボケ役の人が夢を語って
ツッコミ役の人が否定していませんか?
ツッコミ役が、可能性を広げるような漫才ができるように
コーチングで不要な思い込みを外していってるんだなあと思いました。
これはもうちょっとしっかりと考えてみようと思います。
まずは、なぜか発掘されたM-1グランプリ2006のDVDをみようと思います。