いらない執着
物事を「自分ごと」にしないと行動につながらず、変化(進化、成長、)できないんですよ、ということを
よくここで「自分ごと、他人事」という話を書いています。
(ご興味があれば横か下の検索窓から検索してください。色々出てきます)
どういうことかというと、たとえばテストの点数が悪いとして
先生の教え方が悪い、自分はちゃんとやっているのに(でもできていない)というのは他人事
どう勉強したらわかるのか、そのためにどうしたらいいのか、ひたすら問題を解く、などは自分ごとの行動です。
「自分ごと」は自分でコントロールできること(事態を動かすことができること)と思ったらいいでしょう。
どうしても「自分ごと」にならないことを、どうするか
最近、そういう状況に置かれることが多いと思いますが
意外と、ここで困っている方が多いようなので
ちょっと書いてみようと思います。
まず、どうしても「自分ごと」にならない、というキワをどこに持っていくか、
これは自分の常識の範囲を疑わないといけません。
たとえば、スポーツの全国大会が中止になった。このご時世仕方がないよなー、と思ったらキワはここです。
何かできないか、全ての方向から考えてみることが大事です。(ここはコーチの質問力を活用してください)
それでもどうしようもない。「自分ごと」にならないぞ、というときにどうするか。
すぱっと手放すというのはいかがでしょうか。
人には、執着するという特徴があります。
好きになること、がんばること、行動すること、考えること、
執着は、これらの原動力にもなるでしょう。
でも、どうしようもないときは、気分良く執着を手放せたらいいと思いませんか?
よくあるのが、恋人に別れを告げられたけれど、どうしても諦められない(執着)という時
人によっては、嫌なところを直すから、とか人によっては脅したりなんかしたりして復縁しようとするでしょう。
相手を変えられないか、と画策する方もいるかもしれません。(コーチ的に、それは無理ですと言います)
でも、どうしても復縁できない。なら、その執着心を手放して、新しく歩き出す方が良くないですか?
そういうお手伝いもコーチはやっています。
強すぎる感情が邪魔ならば、いい感じにチューニングしましょう。