選ぶこと

わたしはよく「選択肢が多い方がいいと思っている」と書いています。

つい先日も、それを前提にしたコラムを書きました

少し前にインターネット上で、全く違う意見についての論議が

少しなされていました。

 

あえてぼやかして書きますと

音楽とか漫画とか、定額制や無料のアプリで

何を読むか(聴くか)を本人に選ばせるのは不親切だ。

選ばなくていいように、勝手にリコメンド作品を流すような仕様にした方がいい。

と、こんな感じの意見がありましたよ、という話でした。

 

わからなくもないんです。

「月額いくら払うから、なんかいい感じの音楽を流し続けてよー」というニーズは

わたしの中にもあります。

2週間に1回、なんかいい感じのお野菜見繕ってくださーい、という

食べチョクコンシェルジュというサービスも使っています。考え方は同じですよね。

 

youtubeなんかの動画サービスも、Amazonはじめお買い物サービスも

リコメンドの嵐ですものね。

(むしろyoutubeって目的の動画を検索するのが大変じゃないですか?)

デジタルネイティブの世代は、生まれた時から

ずーっとyoutubeが勝手に選んだ動画を流し見しているんですから

ご意見ごもっともだと思うんです。

 

でもね、選ばせることが不親切っていう感覚は

新しいのではないかなあと思って、ちょっとびっくりしました。

今までは、

本当はお仕着せにしたいところを、お客さんが「選んだ」という満足感を持てるようなサービスが多かったと思うんです。

(レストランのプリフィクスコースとかね)

 

でも、「選ばなくても届く、ということを選択できるんだ」と考えたら

これはとても豊かな話です。

レストランなら、自分でお皿を組み立てても、シェフのおまかせコースに身を委ねてもいい。

野菜の宅配を例にすると、

コンシェルジュが選んで届けてくれる野菜があるから

他の野菜を自分で選ぶことが楽しくなったり

食事全体についての目線が変わったり

そんないいことがあります。

 

音楽も、チョイスされた音楽が流れ続けている中の作品もいいです。

でも、街中でふと耳にした音楽を探す楽しさとか

好きなミュージシャンのルーツを探る中で見つけた音楽とか

今はないかなー?ジャケ買いなんて、その最たるものですよね

そういう選択の楽しさは、もう古いのかしら。どうなのかしら。

 

自分の人生は、どうですか?

そりゃね、いい感じの人生が向こうから流れてきたら、そりゃいいですよ。

でも、いくらITやらAIやらが発達しても

これはなかなか、上手くいかんのではなかろうか。わたし古いでしょうか。

 

 

コーチング, コーチ, 三木未希, なりたい自分になる, 企業コーチング, 手相, 手相観, テソーミ, テソーモミルコーチ, オンライン, オンラインコーチング,

うふふレモンシフォンケーキ。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA