ありのまま考(今さら)
今日はさわやかな青少年に向けた話を書こうと思っていたのですが
ちょっとねっとりした話題を思い出してしまったので、こちらを書きます。ザ・秋味。
秋って、学校が始まり、行事ごとが増え、会社もイベントなんかのイレギュラーごとがあったり
涼しくなって人恋しくなったり、といった「人との関わり」が増える季節でもあります。
関わりが増えますと、まあ、摩擦も増えますよね。思い通りにいかないこともままあるでしょう。
そういうときに、お友達グループで交わされるやり取りに
「◯ちゃんは悪くないって、そのままでいいのよ」
「ありのままの◯ちゃんが好きよ!ちゅ」
こんなん、ありませんか?
ありのまま、は、例のアニメ映画で定着した言葉のような気もしますが
流行った当時、美輪明宏さんのこんな話が少し話題になりました。
「ありのまま受け入れて欲しいと言うことは、泥のついた大根をそのまま食えと言っているのと同じ」
わたしは、基本的にはこのスタンスに賛成でして
泥がついたままの大根は、そのまま放って置かれてしなびてカビてしまう、
やりたいことがあるならば、洗って、皮をむいて、料理をして差し出さないと。
と思っています。
泥大根が、洗ってちょうだい、皮むいてちょうだい、お料理して欲しいの、と待っていても
やってくれる人が現れる確率は、白馬に乗った王子が来るくらいのものでしょう。
自分を押し殺す、自分を否定する、の反対が「ありのまま」ではありません。
なので、うまくいかなかったことを次は達成させたいならば
泥大根を料理に変身させないといけません。もちろん、自分自身にしかできません。
(どうすればいいの?というとき、気分良くスピーディに片付けたい、という方は、コーチにご一報を)
というところまでは、当たり前の話で。
気になるのが、先に登場した「お友達グループ」です。
周りの「そのままでいいのよ」「ありのままが素晴らしいわ」という言葉は
本人が成長することを押しとどめる「呪い」になるでしょう。
Twitterなどを眺めていると、こういうやり取りはたくさん生まれていて
コーチであるわたしは歯がゆい気持ちになります。
せっかく体験したのに、気づく機会や変わる機会を潰されてもったいない、と。
もちろん、なぐさめる、話を聞くというのはとても大切なことです。
でも、無意識で友人に「呪い」をかけていないか、ちょっと気にしてみてもいいと思います。
気づかずに「呪われて」いると気づいた人は
気にしないのか、そのグループから離れるのか、そもそも話さないのか
あなたの目標のために最適な方法をとったほうがいいと思いますよ。
その勇気も必要。