言語化しないことも、いい
結構ここで「言語化してほしいの」ということを書いていますが
今日は、言語化しないことも、いい(いいだろう)ということもお伝えしようかなと思います。
まずは言語化することによる、いいことをざっくりと
言語化する、ということは考えるということですから、自分で新たな気づきを得ることができます。
そのままだと「さらー」っと流してしまっていたようなことも
「言語化してみましょう」と言われて考えることによって
納得したり、より理解できたり、新しいことに気づいたり、しますよね。
これ、とてもいいことです。
そして、人間は言葉を使う生物ですから、言葉にしないとわからない、ということがあります。
目標なんかは、できるだけ言葉にするほうがいいのは、ここから。
でもですね、言葉にすると分かるので、それで分かった気になる、という弊害もあります。
少し前に「歌詞を聞き取っていますか?」ということを話題にしたことがありましたが
これともつながる話で。
誰かの発する言葉を受け取ったら、なんだかそれで満足してしまう、ということがあります。
Twitterのいいね!とか、すげぇ人の自叙伝なんかを読んで満足してしまうのは、このせいです。
この場合は、もう一度自分で考えて、自分の目標、自分にできること、自分がやることを
「言語化」できると、とてもいいです。
さて本題。言語化しないこともいいだろう、というのはどういうことか。
わたしのコーチングを受けている人はなんとなく理解しやすいかと思いますが
あの時の気持ち
あの時の感情
あの時の感覚
あの時の色
あの時の音
あの時の感触
そういうものは、言語化せずに大事に、そうイメージとしてはほわっとした空気の層で包み込むような感じで
大切に持っておいてほしいのです。
わたしはこれらを大切にしながら、コーチングでメンタルの調整をしていきます。
ポジティブなことも、ネガティブなことも
あの時のあの◯◯
を使うことによって、細かいことは無意識に任せることができます。
わたしたちが言語化できる範囲や内容なんでたかが知れています。
言語化するといいこと、言語化することによって狭まってしまうこと
どちらも使い分けて、なりたい自分になりましょう。