「あげる」(強くなりたい)

600個めの記事をお届けします。いつもありがとうございます。

ちょっと前に書いていました「強くなりたい」シリーズっぽい内容です。

強いってなんだろな

 

コーチをつけよう、と思う方には意外とあまりいらっしゃらないか

おられても、そう極端ではない方が多いような実感ですが

自分の感情が周りの影響を受けやすい人って、おられますよね。

 

悲しんでいる友人、深刻な環境問題、不安定な経済、病気の家族、

こういう「もの・こと・人」などに、共感を通りこした感情を持ってしまう、といいますか。

それをはっきり言うと、ネガティブな感情を持って「あげる」人。いませんか?

(わたしはこれはインターネットの弊害かもなあとも思うのです。
ついオーバーめに表現してしまうことってないですか?
やっぱり言葉にできてしまうと、脳みそへの影響は大きくなると思うのです)

 

誰かの言動に対して、

怒ってあげる、とか

失望してあげる、とか

悲しんであげる、とか

あえて「あげる」という言葉をつけましたが(これで、気づいたことや感じたことはある?)

「共感」を超えて、これらを「してあげる」ことを「優しさ」だと思っていませんか?

 

もちろん、たとえネガティブだったとしても

その感情があなたのなりたい方向に進むエネルギーになっているなら、そしてそれが心地いいと感じるならば

それでいいんです。

でも、コーチの目で見ていると

それがつらくてどうにかしたい、でもできない、という方や

ネガティブに浸って(あげて)いる自分を評価されたい(優しい人と思われたい、とか)、

という感じの方が多いなあーなんて思うのです。

 

それが「優しさ」か否かについては、わたしの意見はいいません。あなたは、どう思いますか?

誰かの言動に対して、自分の感情がひどく動かされる人、そういう人は

もしかしたら「もっと強くなりたい」なんて思っておられたりするのではないでしょうか。

 

それでつらくなっているならば

つらくないまでも「いつもこの繰り返しだ」なんて気づいたならば

それは、あなたに何をもたらしますか?と考えてみてください。

 

相手があなたを必要とすることは、あなたにとっても何かしらを満たしているものかもしれませんが

それは、本当にあなたがなりたい自分につながっているでしょうか。

 

このような状況は、自分の人生が、他人の人生の影響を受けているように思えますよ。

わたしは、自分の人生を生きてほしいなあと思っています。

 

あ、ちなみに

共感と同意は違う、というのは、なんとなくそうかなーって思っていただけますか?

コーチは、共感はするけど同意はしない。

これが原則です。というか、ここを混同するとコーチなんて仕事はできません。

 

これからも、書いてまいりますね。どうぞよろしくお願いいたします。(今日はちょっとスパイシーだね)

 

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