「僕の記憶の中のシーン」
これを説明するときに、よく話題に出すのが「ぺこぱ」の漫才。
私はMー1グランプリで初めて拝見したんですけど
肯定する漫才、こんなのあったのか!と感動しました。
このことからも、人は否定するもの、悪いところに注目してしまうもの、という当たり前があることがわかりますよね。
以降、ぺこぱのおふたりのことは好きでよくみているのですが(今は「乃木坂スター誕生!」が好き)
いわゆるお笑い芸人さんとして分かりやすい考え方をされていないのかな?
ちょっとした違和感に注目してしまいます。インタビューとかしっかりと読みたいです。
そんなぺこぱのおふたりの今日のニュース。
17日公開の「レミニセンス」のイベントでのやりとり。
ぺこぱシュウペイ母に時を戻された!1歳の頃に上野公園でハトのフン食べた(日刊スポーツ)
いや、あのタイトルの話題ではなくてですね。ちょっと引用します。
シュウペイは、潜入してみたい自分の記憶を聞かれると「今、こうやってお仕事を頂けるようになって、世に出させてもらったきっかけ」と、3位に入った19年のM-1グランプリ決勝を挙げた。「映像では残っているんですけど、僕の記憶の中のシーン、気持ちは映像では見えない。そこに戻せたらなぁ…潜入したい。旅に出ます」と言って目をつぶった。
いやあ、この話、NLPを使うコーチ的に、とてもおもしろいんです。
まず、「映像で残っているM-1グランプリ決勝」
これはもちろん、
映像の中にシュウペイさんご自身が映っていて、それをシュウペイさんが見る、という形。
一方「僕の記憶の中のシーン」こちらは
シュウペイさんが舞台の上で見た映像。きっと当時はお客さんがいて、紙吹雪が落ちてきて、隣に松陰寺さんがいて、眩しくて、音楽が大きくて、という映像。
もちろん、シュウペイさんからシュウペイさん自身の姿は見えません(手とか足元は見えるけど)。
この違いを、コーチングのなかでよく使うんですよね。
脳の仕組みとして、
「映像で残っているM-1グランプリ決勝」は、少し他人事に
「僕の記憶の中のシーン」は、自分事としてありありと感じられるはずなんです。
シュウペイさんが「そこに戻せたらなあ」と言っておられるのは
多分、その時の高揚感などを思い出したいのではないかな?と思います。
「映像に残っている」映像では、少し物足りないはずなんです。
これ、きっと
お芝居とか音楽のライブが好きな人も同じように感じたことがあるのではないでしょうか。
生のお芝居、音楽は楽しい。映像作品が出たら購入して繰り返し見る、でもそのうちに
生の記憶が薄れてくるような、そしてそれが物悲しいような、興奮が薄れるような気がしたことはありませんか?
それを狙って(次のライブが待ち遠しい!っていう効果)映像を販売しているとしたら、すごい。
ありありとした生の感覚の劣化を防ぐために、映像作品でも客席に座っている感覚を持ってみる、とかするとちょっと違うかもしれません。
ただ、客席で、あなたが視線を切り替えて見たものと、映像作品としてのカット割は違いますから、やっぱりライブがいいんですよね。
さておき。この感覚をうまく使ってコーチングで何をやっているかと言いますと
存分にわくわくして(シュウペイさんで言うと「僕の記憶の中のシーン」)絶対にやりたい!と思う
まだその夢は叶っていないんだぞ、これからだぞ、と脳に思わせる(同「映像で残っているM-1グランプリ決勝」)
こんな使い分けをしています。
ご自分でもやってみてくださいね。(きっと訳がわからなくなると思うので、その時はコーチを呼んでね)
ですので、シュウペイさんの脳みそ(無意識)は
「またM-1の時のような感動を味わいたいぞ!」と思って、そちらに向かっているのではないかな、と思います。
これからも楽しませてください。(松陰寺さんも。ツイッターも楽しみにしています。松井ッターも)
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