story | コーチ 三木未希 https://coachmiki.info 『つよつよメンタル』で人生を思い通りに 気分のいい個別コーチングと執筆など Fri, 09 Oct 2020 08:01:58 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.4 https://coachmiki.info/wp-content/uploads/2023/09/cropped-名称未設定のデザイン-4-32x32.png story | コーチ 三木未希 https://coachmiki.info 32 32 人生グラフを書いてみた- my story- 4 https://coachmiki.info/2020/10/08/1-462/ https://coachmiki.info/2020/10/08/1-462/#respond Thu, 08 Oct 2020 10:59:43 +0000 http://coachmiki.info/?p=2564 転職してすぐに辞める?!さて、どうなる。が、昨日までのお話。 人生グラフを書いてみた- my story- 3 いよいよ今日は、コーチの三木誕生です。このあたり。 ほんの3年くらい前のお話です。どうぞ。   +++ 39 […]

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転職してすぐに辞める?!さて、どうなる。が、昨日までのお話。

人生グラフを書いてみた- my story- 3

いよいよ今日は、コーチの三木誕生です。このあたり。

コーチング, コーチ, 三木未希, なりたい自分になる, 企業コーチング, 手相, 手相観, テソーミ, テソーモミルコーチ, オンライン, オンラインコーチング,

ほんの3年くらい前のお話です。どうぞ。

 

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39歳になる直前に無職です。会社を辞めたと知ったIM時代のお客様からの仕事をいくつか受託しつつ、なんとなく「40歳くらいに独立」に寄って行っているような気もしながら、最初は就職も考えていました。でももう、他人の会社に自分の人生を委ねるのは嫌!逆に怖い!と思っていたので、パラレルで働けるような会社をいくつか当たってみましたが、これも少し時期が早すぎたようです。2017年上半期当時はフルコミットを求める会社がまだまだ多かったです。また、ロールモデルになるような40歳代女性社員じゃないと意味がない、という会社もありました。知らんがな。じゃあ給料2倍は出せよ、とか思いました(黒)。

そんな感じで無職時代を過ごして1か月くらいでしょうか。お盆の頃にふと、「あれ?わたしがやってきたことってコーチじゃない?」と思ったのです。コーチングが何かを詳しく知っていたわけではありません。これを説明しようにも、ふと思いついたので説明できません。10数年まえに知った「コーチング」がむくむくと出てきたとしか言えません。

すぐにコーチングを学べるところを検索、だいたいこういう講座は秋から始まるものが多いので、8月から9月は説明会をしているところが沢山ありました。ちょうど3つ見つけたので、説明会に参加してみることにしました。九段下と新宿と両国でした。結果、両国のスクールに通うことにしました。自分ではなく他人のために使えるコーチングを理論立ててテクニックとして学べそうだと思ったからです(スピリチュアルやあやしげな自己啓発っぽいスクールもあるのです)。

ちょうど39歳の誕生日から講座がスタートしたと思います。コーチングの技術を学ぶことはコーチングを受けることを含んでいます。コーチングによって、なりたい自分になっていない人は他人をコーチングすることはできません。コーチングによってなりたい自分になったから、他人にコーチングができるのです。

ここでも、スクールの先生(元ばりばり理系の技術者でした)や一緒に学んだ仲間たちとの相性がうまくフィットした上に、「わたしコーチやってたんじゃない?」と自覚していたのは正しかったようで、コーチングする自分に違和感が全くなかったのです。それは、お客様への効果にもつながります。トレーニング時代の仲間である年配男性へのコーチングセッションで、感動で泣かせてしまったこともありました。わたしとの練習中のセッションで、夢を叶えた仲間もいます。やっぱり、わたしはコーチをやるんだ、と腹が決まったので、マスタークラスに進み2018年3月に独立しました。

このStoryを作っていて気づいたことがあります。コーチングを始める前のわたしは、基本的に自分でごきげんになれる、落ち込みを引きずらない(飽き性?)素養はあったようなんですが、どうも他人や周りの影響を受けてグラフが下がるのです。世の中が不況だから売り上げが下がった、周りが悪い、と言っている経営者のようなものですが、周りの状況に流されてグラフが下がるのはもったいない。他人に影響を受けることなく人生を自分でコントロールできるようになる、なりたい自分になる秘訣はこれかもしれません。

わたしがコーチングでなりたい自分になっていることを一番実感するのは、こんなことです。

お安くない受講料を払ってコーチングを学んでいても、自分ができるようになるかどうか分からない、独立してもお客さんを見つけられるか分からない、しかも無職という不安な時期、希望するような就職先はない、転職市場では結構年寄りだ、おそらく、前のわたしだったら不安で耐えられなかったと思うのです。また、自分の資金状況を真正面から見ることも、お勤め時代はできませんでした。独立するならば、お金のことから目を背けることはできません。お代は(わたしが決めた)いくらです、と言えるようになること。以前のわたしなら、きっとできなかったでしょう。今は自分のなりたい(ありたい)姿に向かって、必要なことに対処して進むことができています。

できることに注目できるようになる。これはコーチングのメジャーな効果のひとつですが、わたしがいらない不安を手放して、やりたいことに向かって進んでいけているのは、この効果のおかげです。なりたい自分になるように調整できるコーチングは、きっとたくさんの人の役に立つでしょう。

おかげさまで、わたしのコーチングを受けてくださった方は100%の確率でリピートしてくださっています。自分のことを好きになったとか、未来の自分が楽しみというようなご感想をいただいたり、新しい目標を見つけた方や、目標を叶えて、さらにより良い方向を見ている方ばかりです。

わたしと同じように、イケイケでもなく、バリバリでもなく、ガツガツでもない人、特に今の30代くらいの方は、真面目で、優しくて、きっちりしていて、頑張りやさんの人ほど、がまんしていたり、他人や状況に振り回されていたり、自分にはできない、怖いと思い込んでいて進みたいのに進めない人が多いように思えるのです。わたしは、そういう方がなりたい自分になれるようなコーチングをこれからもやっていきます。

 

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以上でございます!

読んでいただき、ありがとうございました。

なぜわたしがコーチをしているか、なんとなく、おわかりいただけましたでしょうか。

明日、簡単にまとめてみようと思います。

 

1回めからお読みになるなら、こちらから

人生グラフを書いてみた- my story- 1

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人生グラフを書いてみた- my story- 3 https://coachmiki.info/2020/10/07/1-461/ https://coachmiki.info/2020/10/07/1-461/#respond Wed, 07 Oct 2020 11:28:33 +0000 http://coachmiki.info/?p=2556 なんでこんなことを書いているかというと なぜわたしがコーチをやっているのかを、たくさんの人に知ってもらいたいからです。 大学職員だった頃、学生さんのビジネスプランコンテストの担当をしていました。 わたしはビジネスもなにも […]

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なんでこんなことを書いているかというと

なぜわたしがコーチをやっているのかを、たくさんの人に知ってもらいたいからです。

大学職員だった頃、学生さんのビジネスプランコンテストの担当をしていました。

わたしはビジネスもなにもやったことがありませんでしたが

参加者にずーっと言っていたことが

「なぜ、あなた(たち)がこのプランを提案するのかが分かるようなプレゼンをしてみて」ということでした。

特に学生のコンテストでは、審査員が動機で納得しないと、ただの遊びに見られがちですからね。

ということを思い出したりもしていました。

 

そんな大学職員に別れを告げ

人生グラフを書いてみた- my story- 2

 

今日は、横浜にきましたよ編です。

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どうぞ

 

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無理くりなスケジュールで横浜へ来て新しい職場に行ってみたところ、なんとも空気が悪い。挨拶もろくすっぽしてもらえない。なんだこれ?と探っていくと、どうも他所から来たトップが「改革だ!」と旗をふっていた目玉事業をやる人、として、わたしがひとり放り込まれたようなのです。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の、わたしは袈裟だったのです。ただ幸いにも、この頃はすでに「わたしできる」の人になっていますから、まずはひとりで仕事をしようとお客様と新しい取り組みをはじめ、外部にネットワークを作っていきました。そして、組織の中で誰が味方かを見極めて人を動かし、1年くらいかけて自分が動きやすい環境を作りました。ここでも数か月間は、黙っていると常に涙が出るとか、いきなりすとんと倒れるとか、吐き気止まらないとか、壁殴るとか、ありました(病院行ったほうがいいよね)。が、お客様と同僚に認めてもらえたのか、とってもとっても可愛がってもらって居場所を作ることができたのです。

横浜に来て2年で結婚。不便な海辺に引っ越します。なぜグラフが下がっているかというと、単純に通勤時間が長すぎて眠かったから(笑)。これも、「午前中はお客さんが来ない」という理由で出勤時間を遅くすることに成功して解決しました。

横浜での仕事はインキュベーションマネジャー(IM)。ベンチャー企業を集めた施設で、企業の成長のために存在する人です。いろんなタイプのIMがいると思いますが、わたしは今から思うと明らかにコーチング型でした。あなたの会社はどうなりたいのですか?そのための方法は?その方法を現実化するには?強みを客観視しましょうか、そういえば最近こんなことをした会社がありましたよ? こんな会社とコラボしない? こんなことにチャレンジしない? など、第三者の視点から提案とディスカッションができるということで、経営者の方にはとても喜んでいただけたようです。だって、自分で会社を作ったような方は、他人に「ああしろ、こうしろ」って言われたくないですもの。周りは利害関係者しかいませんしね。わたしはただ、自分が育ててもらった学校がしてくれたことをやっていただけですが、考える社長さんの発想を広げることができるコーチング型のIMは、なかなか珍しかったと思います。この時期は同時に、わたしが会社が利益を出すことの意味を知るステップでもありました。経営者は(リスクをとった分)幸せにならなくてはいけない、わたしは、こんな思いを持っています。

そんな喜ばれる立場でありながらも、契約はここでも1年更新。年が明けると憂鬱で憂鬱で。総務部長が面談のアポを入れてきて、次年度の契約の有無を伝えるために、わたしのオフィスへやってくるんですよ。本来、働く辞めるは自分で決めるべきことだと思っていますが、それが他人に委ねられているというのは、なんだか常に胸の下を締め付けられているような感じです。さらに、資格を持っていたり大企業での立派な経歴を持つ人が多いIM業界で、経験と行動と現場の評価だけのわたしは切りやすい、また、キャリアアップしづらいということに気づいてきました。そんな中、人生の流れを変えるために、80歳を超えても働けるように、なんとなく40歳くらいには独立したいなあと思うようになります。

案の定、経営が厳しくなったということで、わたしともうひとりのIMが雇い止めに。わたしは、自分の経歴でこの業界でやっていくには一度新規上場を経験しなければならないと思っており、ちょうど昔のお客様企業からオファーをいただいたことから上場志向のベンチャー企業に転職しました。

転職先の会社の社長のことはよく知っているし、ここを補えば事業が伸びるということにも気づいている。あとはやるだけだ!いい会社作るぞ!と張り切って入社してみたら、ここにも大きな穴がありました。詳細は伏せますが、会社の成長を阻害しているのでは?と思える役員とうまくいかず、4か月で退職することになります。ちなみに、入社から退職を決意するまでは2か月弱でした。なぜこんなに短時間で決断できたかというと、新しい軸を持っていたからです。自分の結婚式の時に、強く「わたしは幸せにならないといけないんだ」「わたしが幸せになることが、周りを喜ばせるんだ」「わたしは大事なんだ」と妙に具体的に気づいたのです。この会社はわたしを大切にしていないので、その日に退職を決めたのでした。たぶんこれからも、わたしは、わたしが粗末にされていると気づいたら、すぐにそこから離れると思います。付き合うわたしの時間がもったいないからです。

 

今日もありがとうございました。

続きはあした。

人生グラフを書いてみた- my story- 4

 

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人生グラフを書いてみた- my story- 2 https://coachmiki.info/2020/10/06/1-460/ https://coachmiki.info/2020/10/06/1-460/#respond Tue, 06 Oct 2020 14:06:00 +0000 http://coachmiki.info/?p=2526 人生グラフ(と言うのもはずかしいが)を書いてみた、2日目です。 生まれてから22歳くらいまでは、こちら。 人生グラフを書いてみた- my story- 1   さあ、大学を卒業しますよー。今日はこのあたり。 どうぞ。   […]

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人生グラフ(と言うのもはずかしいが)を書いてみた、2日目です。

生まれてから22歳くらいまでは、こちら。

人生グラフを書いてみた- my story- 1

 

さあ、大学を卒業しますよー。今日はこのあたり。

人生グラフ, コーチング, コーチ, 三木未希, なりたい自分になる, 企業コーチング, 手相, 手相観, テソーミ, テソーモミルコーチ, オンライン, オンラインコーチング,

どうぞ。

 

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わたしは超就職氷河期世代です。今は氷河期ですよー、と言われていた年代ではなく、過ぎ去ったら超氷河期の始まりだった、という年でした。当然、今のような就職活動のノウハウもなく、新卒で就職しないとエラいことになるという感覚もあまりなかったように思います。そんな中、わたしは仕事とはつらくて難しいものだと思い込んでいたようで、企業が利益を出す意味、企業の利益のために自分が働くことがどうしても理解できず、また、納得いく答えに導いてくれる大人にも出会えず。マスコミと美術系の会社をいくつか受けて、晴れてフリーターとして世に出ることになります。本人は「よっしゃ、1年で映画100本見るぞ(達成しました)」とか思いながら気楽に過ごしていたつもりなんですけど、10円ハゲができたり、常にめまいがしたり、電車で気分が悪くなったり、ホームで倒れて線路に落ちたりと、心の負担はあったのだと思います。病院に行っていたら何らかの病名がついていたのかもしれません。また、家庭にも暗雲が立ち込めていきます。おかげでこのあたり数年間の記憶の一部が今もありません。

そんな中、まずはフルタイムのアルバイトに変わろう、さらに次は土日休みの職場に行こう、と、ものすごく低レベルな目標を叶えていきました。フルタイムで土曜半ドン(懐かしい!)日曜休みのアルバイト、それが母校の同志社大学での仕事でした。

押しかけのような形で声をかけてもらった職場は、同志社大学にできて1年目のリエゾンオフィスという部署でした。PRと企画と営業とイベンターと契約と経理と学生相談係、みたいな仕事をアルバイトながら責任を持ってやらせていただき、学内はもちろんのこと、国の機関とのやりとりも任せてもらえました。なかなか会えないような人とお仕事をしたり、自分では行けないようなところに連れていっていただいたり。皆さんに可愛がっていただき、喜んでいただき、指導していただき、仕事ってたのしい!わたし仕事ができる!と思えるようになったのは、やっとこの辺りです。それまでは本当に、自分は「誰にでもできるお仕事」しかできない、と思い込んでいたんですよ。今思えば本当にもったいないことです。実は、な話がありまして。辞めてから10年以上たったある日、当時の上司のひとりと飲んでいた時に「試用期間で辞めてもらおうと思っていた」と衝撃の告白が。理由は話すのがゆっくりすぎたから、だそうです。え、怖い…そこですか?!もし本当にクビになっていたら、わたしはきっとズタボロになっていたと思います。当時の状況を考えると、生きていなかったかもしれません。反対してくれた人がいて、よかった。

この頃は仕事でもお付き合いでも徹夜するし、学生さんとは土日も夜中も議論します。イベント前は自発的にホテルに缶詰めとか、たのしくいっぱい働きましたが、上司は心配だったでしょうね。また、基本的に理系の先生方とのお仕事だったので、いわゆる理系の考え方ができるようになったことは、本当に良かったと思っています。

お金をくれて育ててくれた母校と教職員の皆さまには感謝してもしきれません。大学職員の仕事は、基本的には学生さんや教員を輝かせるものです。この時期に、自分は人の話を聞いて可能性を広げることができるのかも、と思えるようになりました。わたしが母校でこのように育てられたので、自分が働くようになってからは当然のように、そうしていたのです。また、コーチングというものがあるということも、この時期に知りました(ここでは知っただけ)。

上司の計らいで1年と少しで、アルバイトから契約職員になりました。それじゃいっちょ正規職員にとチャレンジもしましたが、なんやかんや(もにゃもにゃ)で受かることができず、1年更新でいつまで続けられるかなあと思っていたところで雇い止め。どうしたものかと思っていたところに、当時一緒に仕事をしていた経営コンサル会社から横浜に行けないか?と打診をもらいます。当時付き合っていた人(今の家族)が神奈川県で就職することが決まっていたので、じゃあ行きます、と大学を退職しました。

 

今日もありがとうございました。

続きはあした

人生グラフを書いてみた- my story- 3

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人生グラフを書いてみた- my story- 1 https://coachmiki.info/2020/10/05/1-459/ https://coachmiki.info/2020/10/05/1-459/#respond Mon, 05 Oct 2020 13:14:23 +0000 http://coachmiki.info/?p=2519 あの、よく聞く機会がありますよね。 あれ、人生のグラフ。結構、就職活動で書く人が多いのでしょうかね。 わたしも作ろう、と思いつつ、延ばし延ばしになっていましたが 今少しPRの基本を学んでいて、ストーリーをお知らせすること […]

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あの、よく聞く機会がありますよね。 あれ、人生のグラフ。結構、就職活動で書く人が多いのでしょうかね。

わたしも作ろう、と思いつつ、延ばし延ばしになっていましたが

今少しPRの基本を学んでいて、ストーリーをお知らせすることは大切だと思ったので

さっと作ってみました。

なんせ文章が長くなったので、今週はそれを分割して更新します。

最終回には、ああだからコーチをやっているのね、と伝わればいいなと思います。

 

今日は、このあたり

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生まれてから22歳くらいまで編です。どうぞ

 

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そこそこ恵まれていたと思える普通の勤め人と専業主婦の家に生まれました。奈良県の古い町です。第一子で初孫だったので、たぶん可愛がられ度大だったのでしょう。

幼稚園、小学校時代は、なんとなくそんなに楽しくなかったような。砂場道具の取り合いとか、リーダー格の女の子をみんなでちやほやしなきゃいけない感じが苦手で、ひとりで好きなことをしている方が楽でした。本大好きな子。

そんな感じだったので、地元の中学校へ行かせるのはマズいのでは?と思った母に、私立の中学校へ行くことを提案されます。小学校5年生の冬から近所にある塾へ通い始め、意外と良くできたのでたのしく受験するつもりだったのですが。小学校6年の冬休みになぜかすべてが嫌になり、大詰めのお正月をのんびり過ごすことになります。わたし、なんでだ?と訳がわからなかったのが、グラフがどーんと落ちている理由。けれどあまり日をおかず、なんとなく塾へ復帰。無事に希望の学校へ合格します。(今なら、イップスと言われるような状態だったのかなーと思います)

同志社女子中学校へ入学すると小学校とは何もかもが大違いで。先生が教室でジャージ着てないし、ミシンも壊れていないし。群れる感じの友達も皆無で「ここは楽園か花園か」と思いながらたのしく過ごしました。委員会活動や、文化祭や、なかなかめずらしい課外活動にのめり込み、学校帰りは街歩き。カラオケとかもあまりない時代なので、おもしろい雑貨屋さんやエスニックショップ、高校生になってからはライブハウスなどを巡るのが日課でした。以降の人生「好き放題」の基礎ができたのがこの頃。まあそれなりに、この年代なりの仲間はずれや仲違いなんかはありつつも、基本的には好き放題に過ごします。そのまま(ちょっとしたトラブルはありましたが)同志社大学に進学し、体育会ヨット部でマネジャーを始めます。なんだかやっぱり王道の集まりが苦手なのは変わらず、飲みサーやテニスやバンドはできず。ここがわたしの居場所だ、と思えたのがヨット部なのでした(お酒はめっちゃ飲みましたけど)。

仲間!努力!勝利!みたいな学生生活を送っていたところ、全国大会で個人優勝したヨット部同期のエースがクラブを脱走します。理由を聞くと「自分が優勝したから、もういいかなーと思って」とのこと。はー?!わたしはあなたたちのためにやっていたのに!と馬鹿馬鹿しくなったのと同時に、自分の行動の理由を他人に見つけていたんだということに気づき、それはイカンと3回生の夏にクラブを辞めました。初めて暇な大学生の夏を過ごしましたが、イケてそうな男性も意外としょーもないのね、と知ったり(もにょもにょ)。それくらいヨット部の人々は、なんでも自分でできてかっこよかったんです。

3回生後期になると卒論のためのゼミが始まります。わたしは文化史学という歴史学を専攻していて近世社会史のゼミに入りました。テーマの選び方と指導してくださった先生との相性、また研究と学生生活の環境がばっちりフィットし、再びの超絶たのしい期がやってきます。卒論は学年トップの評価だったそうです。わたしの先生はひとりの人の日記を分析して研究をしておられます。「日記を書く日常」と「日記に書かれた日常」の違いを知ったことは、自分史上最大の発見でした。他にも書かれたことと本心の違いにデリケートになったり、主観と客観の使い分けができるようになったり、と、卒論を書くことは、今の仕事の基礎を形作っていたんだなあと思います。

 

続きはあした

人生グラフを書いてみた- my story- 2

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