スポーツ選手が人を励ますことについて考えた

3月11日、地震から13年が経ったそうです。

13回忌は私の経験では大きな法要をいとなんだり、法要に一区切りをつけたりするイメージ。

ひと昔かぁという感覚にもなるくらいの時間です。

 

亡くなった方に私たちが唯一できることは「憶えていること」だと思います。

ただ、それが強すぎて生きているあなたが歩みを止めてしまうことは

きっと故人も望んでいないでしょう。

コーチングでは、そのような調整も行ないます。

憶えていて、大切にしたまま、歩き出す

その工程は、自分で歩むには簡単ではないかもしれません。

コーチがいることで、少し支えになるのではとも思います。

 

今日はたくさんのスポーツ選手の発信も見られました。

「プレイで勇気づけられるように」

これはオリンピックの「感動をありがとう」と同様に、私は少し違和感を持っています。

フレーズ化してしまっているので、各々がどんな思いや考えを込めているのか分からないところが

私のもやもやの根っこです。この機会に少し分解してみました。

 

辛い思いをしている人や、希望をなくしているような人がいるとして

熱中できるものがあると

直面している問題(または、何が問題かわからない状態)から少し視線がズレる

気分転換になる=スッキリする

元気になる
励まされる
勇気をもらう(新しい歩みを進めてもいいかな?という気になる)

贔屓が勝ったなら、気分も上がる

もっと熱中する

直面している問題(または、何が問題かわからない状態)から視線がズレる

スッキリする、スカッとする

さらに元気になる
さらに励まされる
さらに勇気をもらう(新しい歩みを進めようかな?という気になる、行動する)

 

ということだと思うのです。

つまり、人々が熱中するような仕組み(スポーツなんてそのためのルールになっていますよね)があって

そこで輝くことができる立場の人は、

自分の持つ力を全部発揮して、集中してプレイすること

このこと(だけ)で(も)、人々を「勝手に」勇気づけることができるのだと思います。

勝てたらなおいいってくらいのものでしょう。

 

だから、気負わなくていいんだよーと

特に学生アスリートにいいたいなと思います。(春の高校野球も始まりますからね)

別のことに視線をズラす効果、これが特に大事。

自分の得意な、自分の好きなことで、人(の視線)を変えられるなんて

スポーツ選手はすごいです。

 

こう考えると、きっとギャンブルとかお酒も同じような(視線をズラす)効果があるんですよ。

人の仕組みって単純なプログラムなんだなあとも思います

 

 

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