経験者から学ぶ意味(メンタリングとコーチングの比較)
今週はアーカイブを編集し直してお届けします。
今日の元記事はこちら。
経験者から学ぶことの効果と懸案点 そこに覚悟と再現性はありますか?
闘病記や最近は介護記はエッセイ本の1ジャンルに挙げられます。
大変な経験は文字に残したくなるし、
大変な経験をしているときに先駆者や経験者から学びを得ようというのは当然のことです。
だからこそ(あえて)書く方も読む方も注意したほうがいいぞと思っています。
これは病気や介護に止まらず、いわゆる成功者の自伝なども同じこと。
経営者やスポーツ選手、タレントや政治家、ある程度を成し遂げた人、
特に、逆境から立ち直って成功をおさめた人の物語は、ドラマティックで読者の関心を引きます。
だからこそ(あえて)丸呑みにしないで!自分と比べないで!と思います。
(本題から少し外れますが、経験者や先駆者から学ぶことは「憧れ=他人事」になってしまう懸念もあるかも、と思いました)
先駆者の話というのは、大きく考えると「メンタリング」と位置付けられます。
自分の経験を伝える、経験に基づいてアドバイスするというもの。あえて(3回目)いうと、ここに品質保証はありません。
「ティーチング」と比べてみましょうか。
ティーチングは程度の差はあれ科学的に検証されたメソッドを教授するもの(本来は)。
科学的に正しく、つまりそれはある程度の再現性はあると考えられる方法で教えら(ティーチングさ)れます。
ここの差は大きいと考えます。
客観性(科学は客観的なもの)や再現性の他にも、例えば発信者の「責任感」や「覚悟」はどうでしょう。
そもそも「私の経験を聞いてください」という人に、読者がどう成長するか、変化するかという視点を
求めるものではないかもしれませんよね。
ではコーチングはどうなのか。
コーチングはあなたが答えを引き出すお手伝いをするものです。
必要があれば、正しい情報を調べてみるように宿題を出すこともあります(コーチも同じくその宿題をやります)。
今すぐに「答えをください」という人にとっては不親切極まりない(かもしれない)コーチング。
その方の人生を変えていく覚悟を(プロなら)持っているはずのコーチが伴走します。
「問い」を持つことで、想像もできない自分をつくっていくのがコーチングです。
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