誰もが誰かの「他人事」を担う可能性がある
人の足を借りると人の導くまま歩くことになる
というアフリカのことわざがあります。
私は自分の本で「自分事と他人事」として書いていることと同じで
人生を動かすには物事を「自分事」としてとらえる必要があります。
「自分に何ができるかな」と考えることから、行動が変わり結果が変わってくるのです。
でも、
たとえば、会社の制度や科学的な事実(人は自力で空を飛べない)などは
どうしても「他人事」になって仕方のない部分があります。
例えば、
法律で決まっているようなものの場合、私なんかは「そりゃ仕方がないな」と思いますけれど
政治家や政治家を志す方は、それをモチベーションに考え、行動をされます。政治家は法律を作ったり変えたりできるからです。
この政治家さんのように、誰もが誰かの「他人事」を担う可能性があります。
冒頭のことわざに倣っていえば、歩く道の路面になっているような感じ?
誰かが歩く道を、自分がでこぼこにしていたり、はたまたふかふかの絨毯を敷いていたりするのです。
あなたがお父さんだったとして、お子さんが「お父さんは許してくれない」と思っている場合、
お父さんの考えや行動をチェンジできたら、お子さん(のやりたいこと)を許すことができるかもしれない
そういうことです。
誰もが許容範囲を大きく、「死なないならやってみればいい」くらいで考えられたら
無数の可能性が花開くかもしれませんね。
でもだからこそ
「良心」や「信念」って必要なのよねと思います。
そんなことも考えつつコーチングやっております。
今なら対面可能です。
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