わたしなんかが?

少し前に「わたしなんかが」について議論になった場にいたことがありまして。

わたしなんかが、いただいていいんだろうか

わたしなんかが、言っていいんだろうか

わたしなんかが、書いていいんだろうか

わたしなんかが、幸せになっていいんだろうか

など。

その場では「その思い、大切にな」という話でまとまったと思うのですが

わたしはいまいち、納得できずにいました。

 

確かにね、文学的には大切なのかもしれません。美しい気がします。

そして、この言葉が、言葉の背景が

あなたに勇気や自信を与えているなら、それもいい。

でも、「わたしなんかが」が行動のブレーキになっているのなら

それは、不要な思い込みなのではないかなあ、と思うのです。

 

ここがコーチじゃないブログならば

「あなたにチャンスが巡ってきたということは、それはあなたにはその資格があるからですよ」

とか口触りのいいことを言って、きらきらな写真でもつけて終わるんでしょうけれど。

そんなことで納得するなら、流されていた程度のことで。それはそれで良かったです。

そうじゃないならば、わたしはコーチなので

「わたしなんかが、って思っていたいですか?」

「それは大事って言われた? なぜあたなはそれを信じるの?」

「思わなければ、どうなると思う?」

なーんて質問をして、「わたしなんかが」が不要ならば、その思い込みを取っちゃいたいです。

 

だって、そんなちっぽけなことで留まっているとしたら、あなたがもったいない。

 


写真

コーチング, コーチ, 三木未希, なりたい自分になる, 企業コーチング

ネタがないのでAtelier KAORUシリーズです。

だれにでも、羽根はあるんですよ。

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