ひたすらに目的を追求する
わたしは大学職員だったので
各大学の仕組みの独自性とか、あれだけ大きなシステムを動かすための決まりごととか
公平でなくてはいけないこととか
一応、わかっているつもりです。
大学生のお子さんを持つ友人が何人もいますし
インターネットでも「オンライン講義」の様子が
教員からも学生からも親からも聞こえてきますよね。
曰く、
教員によって差がありすぎ、とか
語学は意外とオンラインの方がいいかも、とか
大学行くより大変、とか
実験や、実習、実技は無理よねえ、とか
無理よねえ、って思ってますよね?
そんな中、こんなニュースが。
「本物見ること重要」 コロナで実習できない学生宅に顕微鏡送り指導 同志社大(毎日新聞)
https://mainichi.jp/articles/20200611/k00/00m/040/084000c
この宮坂准教授とは昔仲間でして。
アルツハイマー病の大家の先生が同志社大学へ移籍してこられた時に
ラボの一員として、専任講師だったかな?で、彼も同時に京都へ来ました。
お招きしたはいいけれど、まだ新しい学部の建物は建っていない。
キャンパスから車で15分くらい離れたところに、買収した土地と元研究所だった建物がある。
では、そこで仮住まいしていただきましょう、となると
事務方がいないといけませんな。
ここで、ものっすごいモメていたようなんですけれど
なんでか知りませんが、わたしが所属していた部門が先頭に立つことになり
じゃあ現場に誰が行くんだ、となった時に
わたしに白羽の矢がたったわけです。
最終的には一緒に荒波も超えましたし
めっっっちゃくちゃ仲良くなりまして
みんなで飲み明かした日は数えきれず。
彼(江戸ッ子)が板前道具を持ってきて、
大先生が取り寄せてくれた氷見のぶりをさばいて
わたしがブリ大根を炊いたこともありました。(もちろん大宴会)
あ、その隔離された建物でね。
思い出話はこれぎりにて。
まず、顕微鏡を学生ひとりひとりに送った、というところで、わたしは
「奨学寄附金を使ったかなあ」と思いました。
教育、研究のためならば、比較的、用途は自由に使える外部資金です。
(でも授業の経費に回すなんて聞いたことがないけど)
寄付された教員の意思で使うことができます。基本的に、誰の反対も受けません。
宮坂先生にはたぶん、1人に1台顕微鏡を買っても大丈夫なくらいの寄付はあると思いました(あくまでも推測)。
でも違うよ、と。
大学の備品の顕微鏡を、宅配便で送ったんだ、と。
ええ!と驚きました。
大学の設備を外に持ち出すって、基本的にはできないんです。
わたしがいた時代は、ノートパソコンも設置場所が決まっていた(決めないといけなかった)のです。
持ち出すはずがない、という前提です。
しかも、宮坂さんの実習だけで使うものじゃないし・・・。
それを、学内の反対なくやってのけたですって!!!
もう、とんでもないことが起こったと思います。
やってみようとチャレンジした宮坂先生も
足を引っ張らなかった学科の先生方も
きっとサポートした事務方のみなさんも
本当にすばらしい。
さらに氏のすばらしいところが
標本を8枚ずつ一緒に送った、と。
ここの研究室にはテクニシャンもいますし、きっと学科にもサポート陣はいると思いますけれど
これ、絶対、本人が作ってると思います。むしろ、生き生きとして作ったと思う。
あー、ちきしょう。すばらしいじゃねーか。(江戸ッ子)
それもこれも、
「本物を見ることが重要。自分の手で見ることでしか味わえない感動や興奮を感じてもらいたい」
から。
あー、ちきしょう。かっこいいじゃねーか。(江戸ッ子)
なんのためにやるのか(目的)
ひたすらにそれを追求している宮坂氏だなあ、と思ったわけです。
思い出の離れ小島 快風館。
近所の方はカエルと呼んでいた旧某企業の研究所あと。