苦労は必要か
あれですね、昨日のコラムと似ているところもあるかもしれませんが
コツコツかジャーンプか
苦労って必要ですかね?
今もときどき、
苦労したわしの方が偉い、とか
今の若いもんは苦労を知らないからダメだ、とか
若い時の苦労は買ってでもせよ、とか
そういうことをいう方がおられますが
ほんとに必要? それは思い込みでは? と
問いかけてみてもいいかもしれません。
(たぶん、言った人に問いかけるとめんどくさいと思うので、言われた自分に、問いかけてみてください)
このコラムではよく
無意識がそう思っている方へ行動する
ということを書いています。
できると思ったらできる、できないと思ったらできない、とも書いています。
たとえば、
失敗する、と思っていたら失敗する方へ
どうせできない、と思っていたらできない方へ
わたしはブスだ、と思っていたらブスに
勝手に行動して(させて)しまうのが無意識です。
さて。
苦労を知らない人は失敗を知らないので、思い切ったチャレンジできる、かもしれない
苦労を知らない人は努力すると叶うと信じているから、努力を惜しまない、のではないか
そう思えたら、どうでしょうね。
部下や若い人たちへの接し方が変わるかもしれませんね。
必要なのは、苦労することではなく成果ではないでしょうか。