肯定と自分ごと(否定と他人ごと)
昨日、花園神社をお参りしたので
心爽やかに台所みがきをしておりましたら
コンロのエッジでざくくっと切りまして
コンロを持ち上げて腰がグキッとしています。
がんばろう。
さて。先日、知人と話をしておりまして
愚痴というか、いわゆる「自分下げ」のような内容を
笑い話として話してくれたのですが
一切「否定形」でなく、「自分ごと」として話されたことに
たいそう驚いた次第です。
わたしのコーチングを受けている方は、しばしば
「否定形を使わずに同じことを言ってみてください」とか
「じゃあ、あなたはどうします?」とか言われていると思います。
これは
脳みそ(無意識)は単純でかしこいので
否定形は処理できない、という特徴と
進んでいくためには、自分ごとに変えないと進めない、という特徴があるから、なのですが
人間はどうしても、他人ごとにしておく方が楽だったり
特に日本人は否定形が心地よかったりするために
「意識的」にクセづけをしていかないといけないのです。
(コーチングではその練習もします。クセがついたら勝手に進むんですよ。楽でしょ?)
この知人は、まあほんと見事に「肯定」「自分ごと」で
とっても驚きました。
そして、こういう理由で驚いた!と伝えました。
そうすることによって、知人にも新たな気づきがあったようです。
コーチはお酒飲んでても、ちょっとそういうタネを蒔いたりしています。