傷つくことと、成長は関係ない論。その理解の鍵は日本人の「免疫」観?
今日は、発見したことをシェアします。思わずこんなツイートをしました。
なんで「心の痛みは成長の糧」みたいに思い込んでいる人が多いのかなあと思っていたんだけど、その理解の鍵は「免疫」という言葉にあった、のかも。ということを前リツイートから気づきました。
— 三木未希🟡話を聞く人 (@miikimiki3) June 8, 2023
傷ついた人は強いとかいう思い込みは、傷ついて復活した人だからじゃね?傷つくことと成長は関係なくね?
こないだ知り合いの小学生に「何か怖い話して?」と言われてコロナ後遺症の話を延々語ってきたのだが、
— 加藤AZUKI (@azukiglg) June 7, 2023
新型コロナ感染関連の話題です。ちょっと長いんですけど、スレッド全部読んでいただきたいのですが
わたしに気づきを与えてくださった部分を抜書き(抜きコピー)します。
また、コロナ以前の感染症に対する認識として、
— 加藤AZUKI (@azukiglg) June 7, 2023
「一度罹れば生涯二度とかからない」とか、
「一度くらいは罹ったほうが免疫ができて同じ病気(感染症)に強くなる」
「わざと感染して免疫を獲得すれば、後々勝ち組」
みたいなのがあった気がする。
これらは
— 加藤AZUKI (@azukiglg) June 7, 2023
・同じ株に再感染する
・変異株が世代交代すると免疫逃避性(免疫を逃避するのは人間側でなくウイルス側)を獲得して再感染する
・複数回感染するたびに「感染しやすく」なる
・複数回の感染で免疫によって強くなることはなく、症状・後遺症の度合いが高くなる
・ワクチン未接種なら更にドン
ここらへんまで、3年間の研究と症例報告の蓄積で分かってきてるんだけど、未だに「納豆を食えば免疫が」とか、「自然感染して免疫を獲得すれば」とかが罷り通ってるのは、従来の感染症における「一度罹れば免疫ができて」信仰が強すぎるんだとは思う。
— 加藤AZUKI (@azukiglg) June 7, 2023
他の言語圏ではどうか知らんけど、日本語では「免疫」という言葉の意味が独り歩きして拡張されてる感あって、ニュアンスとしては、
— 加藤AZUKI (@azukiglg) June 7, 2023
【一度酷い目に遭えば、次からは同じトラブルに強くなる】
【経験によって教訓を得て対抗ができるようになる】
みたいに捉えられがち。
「一度くらいは(死なないレベルの)痛い目に遭えば、次はそれを教訓としてうまく立ち回れるようになるし、一度受けた攻撃は対策できるから次からは無効化できる」
— 加藤AZUKI (@azukiglg) June 7, 2023
【免疫】という概念に対して、だいたいこういう印象が広く定着してきてた。
このことが、「いっそ一度くらい罹ってしまえば」という油断というか甘えというか、【感染症を侮っている】というのに繋がってるんじゃないかな、って。
— 加藤AZUKI (@azukiglg) June 7, 2023
「一度痛い目に遭えば、次からはうまく立ち回れる」ということは
「心の痛みは成長の証」という思い込みと同じだなと思ったのです。
つまり、「涙の数だけ強くなれるよ」信仰とでも言いましょうか
涙(辛いことなど)と強くなることは本当にイコールなのか?(いやコーチはそうは思わない)の
ひとつの回答なのかな、と思いました。
辛いこと、傷つくことなく成長できるなら
もやもや思い悩まずやりたいことに邁進できるなら
スランプなくパワーアップできるなら
それに越したことはなくない? というのは基本的なコーチングのスタンスです。
生きやすくなる、と私は思っています。
なにくそ!というネガティブなパワーは、ある程度までは成長を促すこともあります。
(気分がいいかどうかはさておき)
ただ、それ以上を目指すなら、必ずポジティブパワーと「こうなりたい」という願いが必要です。
ということを、先日大物政治家さんもおっしゃっていましたよ。
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